1955(S30)年度  

ここまで二学期制であったが、三学期制とした。
特別教室棟が着工された。(翌年6月完成。ただし現在はない)
生徒は製造業従事者がふえる傾向が出てきた

1956(S31)年度

定時制後援会が結成され、事業主への協力要請がなされた。これは定通法施行10周年の記念事業であった。定時制教育の啓蒙宣伝としての目的があった。
年度末には、卒業生の寄贈によって、現在の校旗が制定された

1957(S32)年度

先の定通法施行10周年の記念として、校歌を制定しようという気運が高まり、乏しい生徒会費からも3万円の資金を計上した。準備委員会が結成され、一般から募集しようということになり、新聞にも広告したところ、北は秋田から南は鹿児島まで計86篇の応募があった。
結局は岩倉在住の中村阿岐雄氏の作品に決まった。作曲は森一也氏に依頼してAB二曲が作られ圧倒的多数の支持によって決まったのが現在の曲である。
この年の10月より脱脂粉乳によるミルク給食が開始され、翌年1月からパンの給食も始まった。(1ケ月250円)
定時制課程普通科1学増。これにより定時制課程は普通科3学級募集となる

1958(S33)年度

定時制課程普通科1学級減、商業科1学級が設置された。
これにより定時制課程は、普通科2学級・商業科1学級募集となった。
5月給食調理室が完成(現在のものでない)。9月より完全給食が実施された。生徒は地元出身者よりも、むしろ誘致された工場に採用された遠隔地の生徒に変りつつあった

1959(S34)年度


体育大会と野外照明
定時制課程普通科1学級減、通常制(全日制)課程家庭科1学級が設置された。定時制独立高校であったのは7年間であった。全日制は1年生しか在籍しないので、昼間の先生は僅か3人(平野・大池・岩井)であった。その他は全て定時制におぶさった形であった。
これにより定時制課程は、普通科1学級・商業科1学級募集となった。
9月には伊勢湾台風があった

1960(S35)年度

2年生になった家庭科に、徳川義親著「エチケット教室」を使って谷口校長が授業をした。
定時制卒業記念に植樹したメタセコイアのうち1本が、現在中庭にある本校唯一の大樹である

1961(S36)年度

家庭科特別教室(旧第1被服室と洗濯室。現存せず)が完成した。
11月1日、創立10周年記念式典が開催された

1962(S37)年度

全日制課程家庭科2学級募集となったが、次年度はベビーブームの第一波を受け、急増対策の一環として5学級募集ということになった

1963(S38)年度

新教育課程が適用されることになり、「通常制課程」という呼称が、「全日制課程」と改められ、「家庭科」が「家政科」となった。全日制課程家政科5学級募集。
本年度より週1回の朝礼を実施することになり、急激な生徒数の増加に伴って、生徒指導に重点を置くようになった。
38年度工事として、中館(鉄筋3階建6教室)が竣工した

1964(S39)年度

全日制は6学級募集となり、定時制ではこの年度の入学生から他県出身者が圧倒的に増えた。
北館第1期工事として、第1調理室を含む鉄筋3階建9教室が竣工した