1965(S40)年度  

内山校長が、自宅で突然心臓マヒで亡くなられ、学校葬を行なった。後任として斉縢校長が就任された。
中館(鉄筋3階建3教室)が増築された。
定時制では2学期制に戻し、授業時間の確保をはかった

1966(S41)年度

北館(鉄筋3階建6教室)が増築された。
生徒会誌「ともがき」を発刊することになった。
12月の球技大会の準備運動中に、岩田絹代さん(当時全日制3年生)が心臓マヒで亡くなった

1967(S42)年度

全日制は8学級募集となった

1968(S43)年度

定時制課程商業科の募集がなくなり、これにより定時制課程は普通科2学級募集となった。
体育館兼講堂の竣工式を行なった。
全日制は1年生8学級、2・3年生6学級と急増した。
北館の特別教室(理科、社会、調理室、家経室等鉄筋4階建増築)が完成した。
写真は体育館の工事

1969(S44)年度

木造の旧校舎のとりこわし作業が始まり、いよいよ新本館(管理棟)の工事にとりかかることになった。
合唱コンクールが始まり、全日制10年史展を行なった。
写真は開田高原キャンプ

1970(S45)年度

本館第1期工事竣工により、職員室、図書館が新しくなり、9月からは引き続き第2期工事が始まった。
定時制では、1学期に揃って万国博覧会を見学した

1971(S46)年度

本館第2期工事完成にともない、本校の発展を満20年にわたって支えてくれた旧本館木造校舎が完全に姿を消し、プール、クラブ八ウスが完成した。
定時制において、衛生看護科が新設された。
これにより定時制課程は、普通科2学級・衛生看護科1学級募集となる

1972(S47)年度

11月2日、創立20周年記念式典が開催された。
武道場が完成し、グランドのトイレ、手足洗い場が完成した

1973(S48)年度

定時制職員室、視聴覚室、音楽室など3階建の特別教室東館が竣工した。
校門が完成し、現在の並木が植えられた

1974(S49)年度

全日制家政科2学級減、商業家庭科2学級新設された